脇道をゆく(←
さて。正面の本殿には足を運ばず、右手のほうに向かうと、社務所が見えてきました。何の変哲も無い「社務所」です。建物はかなり立派なほうだと思いますが……。こうやって見ると、「普通の神社」なんですけどね。
「靖国カレンダー」絶賛領布中
社務所にも特に用は無いので、そのまま右手を通り過ぎます。途中、「靖国カレンダー」を露店で頒布(販売)していました。
遊就館
そして、目的地が見えてきました。右手のガラス張りの建物が、かの「遊就館」です。ちょっとした博物館のような雰囲気ですね。
でも、神社らしく、新年を迎える準備も万端整っているようです(12/23 に撮影)。
遊就館って何ですか?
「遊就館って何ですか?」という方むけに Wikipedia から引用を。遊就館(ゆうしゅうかん)は、靖国神社境内に併設された、同社の祭神ゆかりの資料を集めた宝物館(博物館法の適用外)。幕末維新期の動乱から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る戦没者、国事殉難者を祭神とする靖国神社の施設として、戦没者や軍事関係の資料を収蔵・展示している。1882年(明治15年)に開館した、日本における「最初で最古の軍事博物館」。
(Wikipedia 日本語版「遊就館」より引用)
なんだか字面を見ると、就職活動中の高等遊民のようにも思えますが、もちろんそんな意味ではないです。「遊就館」という名称は、『荀子』勧学篇の「君子居必択郷遊必就士」(くんしはおるにかならずきょうをえらびあそぶにかならずしにつく)に拠る。
(Wikipedia 日本語版「遊就館」より引用)
えーっと……。あれ? どういう意味だろ。君子居必擇郷、遊必就士、所以防邪僻而近中正也。
……なるほど。http://kanbun.info/koji/kyohakana.html に依ると、どうやら本来は「君子居必擇郷、遊必就士、所以防邪僻而近中正也。」のようですね。読み下すと「君子は居るに必ず郷を択び、遊ぶに必ず士に就くは、邪僻を防ぎ中正に近づく所以なり。」となるのだそうです。うーーーん、意味深長ですよこれは……。現代文訳(だと思います)も見つかりましたので、引用させてもらいます。
君子がきまって環境の良い村里を選んで住み、すぐれた知識人についてきまって学ぶのは、よこしまで偏ることのない礼義にかなって、正しくなるためなのである……つまり、靖国に「軍神」として祀られることは、天皇の赤子(せきし)たる臣民が「中正に近づく」ことだ、ということ……になるのでは、と。
もっとも、殉教者が天国に行ける国も多いので、殊更当時の日本が異常だった、という論理は通用しないとも思いますけどね。
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