Intel from Inside ということで。(←
ちゃんと正面からも撮影しておきましょう。で、台座の右端をよーく見ると、
「彫像に登らないでね」なんて書いてあるわけですが、この字体、最近でも Intel 社が好んで使う書体だったりします。そしてプレートの形状が Pentium Pro(かな?)というのはちょっと気づきませんでした。ナイスなご指摘に感謝です。
Robert Noyce Building には "Intel Museum" と "Intel Museum Store"(要するに売店)があります。
ロバート・ノイス
さてと。チャック・ノリス……じゃなくてロバート・ノイスさんとはどんな方なんでしょうか。ロバート・ノイス(Robert Noyce, 1927年12月12日 - 1990年6月3日)は Intel Corporation (インテル)の設立者の一人であり、ジャック・キルビーと並んで有名な集積回路の発明者の一人でもある。
(Wikipedia 日本語版「ロバート・ノイス」より引用)
ふむ、なるほど。フェアチャイルドでは半導体メモリーの研究開発と普及につとめたが,後に親会社との意見衝突や経営悪化をおこし,再びムーアとともにフェアチャイルドを飛びだし,アンドルー・グローヴと共にインテルを設立した。
(Wikipedia 日本語版「ロバート・ノイス」より引用)
ああ、アンディ・グローブの名前はさすがに知ってます。とはいえ人となりまでは知る由もないので、ついでに。ついでにアンディ・グローブも
アンドルー・スティーヴン・グローヴ(Andrew Stephen Grove, 1936年9月2日 - )は、ハンガリー系アメリカ人の実業家。インテルの共同創業者。本来の名前は、グローフ・アンドラーシュ(Gróf András István、ハンガリー語で名前は苗字・名前の順に書く)だが、アメリカへの移民を機に現在の名前に変更した。
(Wikipedia 日本語版「アンドルー・グローヴ」より引用)
ふむふむ。ハンガリー系とは知りませんでした。経歴
グローブは、ハンガリー・ブダペストのユダヤ人中産階級の家庭に生まれる。第二次世界大戦中にはナチスによるユダヤ人迫害を逃れるため、母親共々偽名を名乗りユダヤ人であることを隠していた。1956 年ハンガリー動乱 ("1956 年革命") の最中、家族を残しながら友人数人と共にオーストリアに脱出し、その後難民支援組織の手によりアメリカに移民。
(Wikipedia 日本語版「アンドルー・グローヴ」より引用)
そういえば、「ベルリンの壁崩壊 20 周年」なんて話がありましたが、「汎ヨーロッパ・ピクニック事件 20 周年」は、誰もネタにしませんでしたね(笑)。まぁ、ハンガリー・オーストリールートというものが、こんな昔から存在していたということに新鮮な驚きを感じます。さらについでにゴードン・ムーアのあの法則についても
ニューヨーク市立大学シティカレッジ (CCNY)に入学、化学工学を学び 1960 年に卒業。1963 年 カリフォルニア大学バークレー校から化学工学の博士号を取得する。 同年フェアチャイルドセミコンダクターに入社。1968 年 ロバート・ノイス、ゴードン・ムーアらと共にインテルを設立。
(Wikipedia 日本語版「アンドルー・グローヴ」より引用)
ゴードン・ムーアは有名ですよね。ほら、あの……アレですよ。飲み屋のツケは 18~24 ヶ月ごとに倍になるとか言う(← 全然違いますwww.bojan.net
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