京都線? それとも琵琶湖線?
JR 東海道本線の京都から大阪の間は、最近では「JR 京都線」という愛称も随分と板についてきました。もともとは、滋賀県の米原から大阪までの愛称を「JR 京都線」にしようとしたところ、滋賀方面から「滋賀県を走るのになんで京都線なんだ」というクレーム?が多くあったのか、米原から京都までは「琵琶湖線」という名前に差し替えられた、なんて話もありました。そうすると、今度は琵琶湖の西岸を走る路線が「湖西線」という名前なのに、それを差し置いて「琵琶湖線」を名乗るとは何事だ、「湖東線」あるいは「湖南線」にすべきじゃないかとか、そんな話もあったようななかったような(どっちだ)。
JR 京都線の新駅ふたつ
さて。先日、その JR 京都線に乗ったのですが、ここ数年で二駅ほど新しい駅が開業していることに改めて気づかされました。具体的には「桂川駅」と「島本駅」です。「桂川駅」
まず「桂川駅」についてですが、これは立地を誤りましたね(笑)。こちらも数年前に新設された、阪急の「洛西口駅」を意識した立地なんだと思いますが、向日町駅からの距離が短すぎます。向日町駅から 1.1 km、西大路駅からは 2.8 km というのは、あまりにバランスが悪いですし、桂川駅の西側は一面自衛隊の駐屯地が広がります。もう 800 m ほど北側の、牛ヶ瀬のあたりに駅を設置すべきだったと思うのですが、どうしてなんでしょう。「島本駅」
このように、立地が理解に苦しむ桂川駅とは違って、「島本駅」は、かの「桜井駅跡」に隣接する立地ですから文句のつけようがありません。山崎駅(サントリーの蒸留所がありますね)から島本駅までは 2.2 km、島本駅から高槻駅までは 5.3 km もあるので、ちょっと山崎寄りではありますが、何と言っても「かつて駅があった場所」ですから、文句のつけようが無いです(← また言ったよ)。
「万世橋駅跡」
このように(← またか)、沿線住民の利便性を高めるために、新駅を設置することは時折ありますが、逆に路線は存置しつつ駅だけ廃止するケースはそれほどありません。まず思いつくあたりでは、中央快速線の御茶ノ水駅と神田駅の間にあった「万世橋駅」でしょうか。交通博物館があったところで、電車からもホームの跡が見て取れた筈です。「平沼駅跡」「隅田公園駅跡」
それから、京浜急行線の横浜駅と戸部駅の間にあった「平沼駅」もそこそこ有名かと思います。平沼駅は戦時中に休止され、その後、横浜大空襲で壊滅的に破壊され、終戦後も焼けただれた無残な姿を晒していた(意図的に撤去しなかったとか)のですが、10 年ほど前に一部撤去されたようですね。東武伊勢崎線の「隅田公園駅」(かつて浅草駅と業平橋駅の間に存在していた)も、ほぼ同じような経過を辿っていた筈です。
「博物館動物園駅跡」
戦時中の「不要不急駅」以外でも、例えば京成本線の「博物館動物園駅」のように、1997 年に営業休止(2004 年に廃止)という例もあります。京成上野駅と日暮里駅の間という都心部にありながら、近年になった廃止されたという珍しい例かと思います。まぁ、主な乗降客は土日の観光客を除き、周辺の博物館や上野動物園の勤務者で、平日の 1 日の平均乗降客数が 500 人未満と少なかった。
そして「桜井駅跡」
さて。ようやく本題の「桜井駅跡」ですが、これはいつ廃止されたのでしょうか。最近になって復活したくらいですから、近年になって廃止されたなんてことは無い筈です。となると、やはり戦時中の「不要不急駅」扱いだったのでしょうか。桜井駅跡(さくらいえきあと)は大阪府三島郡島本町桜井(旧 摂津国嶋上郡桜井村)にある古代律令制度下の宿駅の跡。
えきえき♪
うむむ、これって鉄道の駅じゃなかったのですね(・・;) そういえば「桜井の別れ」なんて話もありましたが、ここで語り始めると長くなるので、また追々に。まぁ、そんな「桜井の駅」でしたから、こんな変な話にも。1876 年に開通した東海道本線(JR 京都線)は長らくこの地に駅を設けなかったが、2008 年、島本駅がすぐ傍に開業した。ちなみに、同線と併走する阪急京都線の水無瀬駅と上牧駅は、それぞれ、「桜井ノ駅駅」(さくらいのえきえき)、「上牧桜井ノ駅駅」(かんまきさくらいのえきえき)の名で開業している。
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