2009年7月20日月曜日

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今度こそ「インディギルカ号の悲劇」

 

原 暉之さんの「インディギルカ号の悲劇」をようやく読み終えました。

私の場合、活字については子供の頃から慣れ親しんでいるので、ものに依っては「速読」とは言えないかもしれないけれど、結構速く読むことができるのですね。東野 圭吾「名探偵の掟」なんかは 3~4 時間ほどで(腹を抱えて笑いながら)読了してしまいましたし、前田 保仁さんの「冬の海に消えた七〇〇人」とかも、ものの数時間で読了した記憶があります。

ダリストロイの発足とクラーク絶滅政策の産物であるラムクラーチェンヌイエがラーゲリに齎したもの

しかぁし。原 暉之さんの「インディギルカ号の悲劇」は、読むのにかなり時間がかかってしまいました。まぁ、ここんとこ、かなり体調がすぐれなかったというのもあって、読み始めるとすぐ頭がくらくらする、なんてのも理由のひとつではあったんですが……。最大の理由は、知らない単語(主にロシア語の固有名詞)が、かなーり多かったってことでしょうか。

まぁ、例えばこんな感じです。

 ダリストロイが発足した頃、ソ連各地のラーゲリと特殊流刑囚入植地は「ラムクラーチェンヌイエ」と呼ばれた人びと、すなわち全面的農業集団化の過程でクラーク絶滅政策の対象とされた農民たちであふれていた。
(原 暉之 「インディギルカ号の悲劇」 P.71 より引用)
この一文を読解するのに「あれ? ダリストロイって何だっけ? クラークってなぁに?」てなことを毎回牽かないといけなくなるので、そりゃあ時間もかかりますし疲れるわけです。ちなみにラーゲリは……いわゆる「強制収容所」のことですね。

食べ物は無いが銃弾はある

あと、この本は囚人船「インディギルカ号」の謎解きよりも、スターリン時代のソ連の極東政策(開発)全般に視野が向けられているため、いきおい登場人物の数も膨大になってしまっています。しかも、その大半が銃殺刑に処されているというのですから恐ろしいのですが。

これ、ネタではなくてホントにそうなんです。むしろ「自然死」が特記される始末ですから、おぞましい限りです。

おわびと訂正

そろそろ本論に戻らないといけませんね。えーと、まず、2008/11/16 の記事には致命的な間違いがありますので、その訂正から。

つまり、カムチャツカからシベリアのラーゲリ(強制収容所)に人々を送り込む途中で座礁した、という説です。
(Bojan International 「インディギルカ号の真実 ─バック・トゥ・ザ・猿払村─」 2008/11/16 より引用)
これ、大間違いです。実際には、マガダン(都市の名前)からさらに北に位置する「コリマ鉱山」にて強制労働を課せられていた政治囚の人々(多くは冤罪か、取るに足らない不品行を咎められて「有罪」とされていた)のうち、幸運にも刑期を全うした人々をウラジオストックに送還する途中、だったようです。「行き」ではなくて「帰り」の船だった、ということですね。

あと、さらに正確を期すならば、インディギルカ号に乗せられていたのは全員が囚人だったわけではなく、実際にマガダン近辺で水産加工業に従事していた労働者(およびその家族)も数百人ほど乗船していたそうです。ですから、

つまり、「秋の漁場」なのであれば、漁場を離脱するのは毎年恒例の行事であると考えられます。「毎年恒例の行事」だとすると、それは「漁」の一環であると考えることもできます。だとすると、カムチャツカでの「漁」は、日本で言う「出稼ぎ」に相当するのではないかと。「出稼ぎ」に家族や子供を帯同するというのが、日本的な感覚ではあり得ないよな、と。
(Bojan International 「インディギルカ号の真実 ─バック・トゥ・ザ・猿払村─」 2008/11/16 より引用)
という疑念も、的外れといえば的外れでした。まぁ、「漁」ではなく「水産品加工」であったり、少なくとも地上で仕事に従事していたようですから、「漁に家族を帯同するのはおかしいだろう」という見方も、間違いでは無かったのかもしれませんが。

つづく?

この「インディギルカ号の悲劇」については、もう少しネタがあるので、明日(以降?)に続きますね。

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