ピトー管と三保飛行場の組み合わせの真実はソ連とブチ切れたことから始まった&越川橋梁(←
アクセス解析をやっていると、どんな記事が読まれているかがわかって楽しいものです。意外と人気があるのがピトー管侮るべからず
モノレール Suica と PiTaPa の組み合わせ
三保飛行場 「甲飛予科練之像」
インディギルカ号の真実 ─バック・トゥ・ザ・猿払村─
列車の止まる道の駅&越川橋梁
全てはベレンコの奥さんがブチ切れたことから始まった
「アラル海」の運命は「ソ連」と共に
といったあたりでして、この中でも、特に「アラル海」の記事の人気が高いようです。この記事は自分でもそれなりに気に入っているので、会心の一本だったかと思っています。
ちなみに、上記のリストは新着順で、人気順ではありませんので念のため。
続編はやっぱ三部作まで
さて、「人気があるので続編を」というさもしい考え方……ではないつもり……かどうかは甚だ怪しかったりしますが(←)、インディギルカ号の遭難について、もう少し掘り下げてみようかな、とふと思い立ち、参考書籍を Amazon.co.jp でゲットしてみました。「インディギルカ」で検索して、引っかかったものを二つほど……。「冬の海に消えた七〇〇人」
まず最初がこの一冊。前田 保仁「冬の海に消えた七〇〇人」北海道新聞社(1987)
こちらはささっと読了しました。そういや「Bojan の本棚」もしばらくメンテできていませんね……。がむばらないと。
「インディギルカ号の悲劇」
もう一冊がこちら。原 暉之「インディギルカ号の悲劇」筑摩書房(1993)ISBN4-480-85634-X
こちらは昨晩から読み始めたところですが、世評通りなかなか読ませる本です。
この二冊は、どちらも「インディギルカ号」を題材にしたものですが、もっとも大きな違いとして「出版年次」があります。見かけ上はたった 6 年でしかありませんが、ちょうど「ソ連崩壊」の「前」と「後」なんですね。「インディギルカ号」=「ソ連の政治犯輸送船」説は、(日本では)ソ連崩壊後の「新事実」とされているので、1987 年の書物と 1993 年の書物でどういった違いがあるのか、読み解くのが楽しみです。
詳しくは、「インディギルカ号の悲劇」を読み終えた後で記事にしますね。
マガダンはカムチャツカに非ず
最後に、面白いネタをひとつ。「冬の海に消えた七〇〇人」の表紙を見て頂きたいのですが、出発地が「マガダン」になっています。ところが、猿払村の「インディギルカ号遭難者慰霊碑」には、次のようにあります。
昭和14年12月12日 ソ連船「インディギルカ号」とそれ
に乗合せていた人々に最後の時がやってきた
「イ」号は 秋の漁場を切上げて帰る漁夫及びその家族106
4名を乗せて カムチャッカからウラジオストークに向って航海
中 折からの暴風雪に押し流され 乗務員たちの必死の努力も空
しく 進路を失い 12月12日未明浜鬼志別沖1500メート
ルのトド岩に座礁転覆 700余名の犠牲者を出す海難史上稀有
の惨事となった
(以下省略:全文は https://www.bojan.net/2008/11/16.html でどうぞ)
「カムチャッカから」(原文ママ)とあるのですね。もちろん、この慰霊碑が建立されたのは 1971 年ですから、当時は「カムチャツカから」だと信じられていたのかもしれません。しかし、1987 年の時点では「マガダンから」という話になっています。おそらく、それが正しかったのでしょう。「マガダン」は、ちょいとばかしソ連事情に詳しい方ならよーくご存じの地名です。そう、流刑地として有名なところだったのですね。カンのいい人なら、この時点で「インディギルカ号」の隠された目的にも察しがついていた……のかもしれません。
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