そういえば「閏月」なんてのもありました
……ふと妙なことに気がつきました。俗に「旧暦」と呼ばれる「太陰暦」では、「閏年」ならぬ「閏月」という概念があったかと思います。回帰年(季節の周期で、太陽暦の 1 年にほぼ等しい)は 365.2422 日である。太陰暦は朔望月を単位とするため 1 年は朔望月の整数倍となるが、回帰年は 12.37 朔望月なので、太陰暦の 1 年は回帰年と大きく異なる。
狭義の太陰暦(純太陰暦・純粋太陰暦)では原則として、比較的近い 12 朔望月(約 354 日)を 1 年とする。一方、広義の太陰暦に含まれる太陰太陽暦では、適宜閏月を加えた 13 ヶ月からなる閏年を混ぜることで、平均した 1 年を 1 回帰年に一致させる。
(Wikipedia 日本語版「太陰暦」より引用)
えーと……、地球が太陽の周りをぐるっと一周する間に、月の満ち欠けは 12.37 サイクル行われるため、切りを良くするために三年に一回「閏月」を入れてタイミングを合わせた……って意味ですよね。純粋な太陰暦では 1 回帰年の近似値である 12 ヶ月を 1 年とした場合、1 年が 354 日となり太陽暦の 1 年に比べて 11 日ほど短くなる。このずれが 3 年で約 1 か月となるので、約 3 年に 1 回、余分な 1 か月閏月を挿入してずれを解消した。閏月を 19 年(メトン周期)に 7 回挿入すると誤差なく暦を運用できることが古くから知られ、世界各地で行われた。
(Wikipedia 日本語版「太陰太陽暦」より引用)
うん、だいたいちゃんと理解できていたようです。「メトン周期」って?
さて、「メトン周期」なる聞き慣れない言葉もあるので、少し意味を見ておきましょうか。メトン周期(Metonic cycle)とはある月日の月相(月の欠け方)が一致する周期の 1 つである。19 太陽年は 235 朔望月にほぼ等しいという周期のこと。
紀元前 433 年、アテナイの数学者・メトンが発見したのでこの名がある。中国では、19 年を 1 章と呼ぶことから章法(しょうほう)と呼ばれた(独自に発見したとも、東漸したとも言われる)。
(Wikipedia 日本語版「メトン周期」より引用)
「アテナイ」は、アテルイとは全く関係なくて、今で言うギリシャのアテネのことですね。それにしても、紀元前 433 年の人類にこんな知恵があったというのは驚くばかりです。地球の公転周期と月の満ち欠けサイクルの最小公倍数を求めたってことなんでしょうけど、計算なのか実測なのか……いずれにしても大したものだと思います。当時は「天動説」ですべてを考えていたでしょうから、なおさら理詰めで計算するのは困難だったと思うんですよね。
Athina~♪
ついでに「アテナイ」についても。アテナイ(アテーナイ Αθήναι)はギリシャ共和国の首都アテネの古名。中心部にパルテノン神殿がそびえるイオニア人の古代ギリシアの都市国家。名はギリシア神話の女神アテーナーに由来する。佐賀県ほどの領域を支配し、アッティカ半島の西サロニコス湾に面し外港ピレウスを有していた。
(Wikipedia 日本語版「アテナイ」より引用)
何故に佐賀県……。謎が残りますね(´∀`)› 続きを読む
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