2009年4月30日木曜日

アイヌ語研究の歴史と現在について、コピペ中心でお送りします(←

コピペ中心でお送りします

いい加減「うざったいなー」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、そんなことは気にせずにアイヌ語関連の話題が続きます。いや、何の予備説明も無く「地名解」がどうのとか、「知里真志保」がどうのなんて話をされても何のコトやら……でしょうから、少しばかし前提知識になりそうな話を、コピペ中心でお送りします(←

アイヌ語(-ご、Aynu itak〔アイヌ・イタㇰ〕)は、アイヌ民族(アイヌ)の言語で、話者はアイヌ民族の主たる居住地域である日本・北海道、樺太(サハリン)、千島列島(クリル諸島)に分布する。日本語と同様、「孤立した言語」とされている。
(Wikipedia 日本語版「アイヌ語」より引用)
「ㇰ」(ちっちゃな「ク」)は、Unicode には存在する字なんでしょうか(そうみたいですね)。化けたらごめんなさいです。「孤立した言語」という概念もなかなか興味深いネタですが、今日のところはさておきます。

概説

地理的に近い位置で話されてきたにもかかわらず、日本語との間には、語彙の借用を除いてそれほど共通点が見いだせない。
(Wikipedia 日本語版「アイヌ語」より引用)
「語彙の借用」は、例えば「硫黄」とか「昆布」とか、その辺でしょうかね。探せばもうちょっとある筈です。江戸時代は「北前船」でのアイヌと和人(シャモ)の交易も盛んだったと言いますし。[要出典]

アイヌ語の現状

現在、アイヌ語を継承しているアイヌは非常に少なく、近いうちに消滅してしまうことが懸念されている言語の一つである。1996 年の推定では、約 15,000 人のアイヌの中で、アイヌ語を流暢に話せる人(Active speakers)は 15 人しかいなかった。
(Wikipedia 日本語版「アイヌ語」より引用)
とまぁ、こんな感じで、ある意味では極めて深刻な状態にある言語でもあります(まるでアムールヒョウみたいですね)。

アイヌ語研究の歴史と現在

ま、そんなわけでユネスコからは「極めて深刻な消滅の危機状態にある」と指定されたアイヌ語ですが、皮肉なことに明治以降の和人の流入が「アイヌ語研究」を活発化させたという一面もあります。

アイヌ語の研究

アイヌ語の話者の寡少に比して、アイヌ語は活発に研究されてきた。金田一京助とその弟子である久保寺逸彦や、アイヌである知里幸恵・知里真志保姉弟らがまず挙げられる。
(Wikipedia 日本語版「アイヌ語」より引用)
というわけで、ようやく「知里幸恵」と「知里真志保」が出てきました。夭折した姉の幸恵とは違い、弟の真志保はのちに北大で教鞭を執るまでになり、アイヌ語(特に地名研究の助けとなるもの)関連の書物を何冊か残しています。

知里真志保先生について

知里真志保先生がどんな方だったかと言いますと……。

知里 真志保(ちり ましほ、1909 年 2 月 24 日 - 1961 年 6 月 9 日)は、北海道幌別町字登別町(現在の登別市)出身の、アイヌの言語学者。専攻はアイヌ語学。姉は、『アイヌ神謡集』の著者・知里幸恵。大学での指導教授は、金田一京助。
(Wikipedia 日本語版「知里真志保」より引用)
ちなみに、1943 年に北大文学部教授になっています。

真志保は京助を敬愛していたが、アイヌとしての自意識もあり、感情的な部分も含めて、学問的な批判は京助に対しても容赦しなかった。 また、先駆者であったジョン・バチェラーはもとより、研究仲間だった河野広道や更科源蔵、高倉新一郎らの著述における問題についても辛辣な批判を繰り広げた。      
(Wikipedia 日本語版「知里真志保」より引用)
そうなんですね。明治に入ってから「蝦夷地」が「北海道」と改められるとともに、「同化政策」という名の、事実上のアイヌ絶滅政策が取られることになります。その頃に宣教目的で蝦夷地にやってきて、アイヌに関する見聞を書物にまとめるなど、アイヌ語研究の先駆けとも言うべき人物にジョン・バチェラー(John Batchelor)というイギリス人がいます。

また、同じく明治期に、官命によりアイヌ語地名の調査を行った永田方正という人物もいます。永田方正の成果として著名なのが「北海道蝦夷語地名解」になります。

知里真志保は大正から昭和にかけての人物で、主に戦後に活躍した人物ですが、「偉大なる先達」であるはずのジョン・バチェラーや永田方正に対しても、舌鋒鋭く批判すべきは批判を重ねた人物でした。ある意味では学者としてあるべき姿とも言えますね。

次回予告「知里真志保先生の炸裂する舌鋒」

つまり、現代に生きる私たちにとっては、永田の「地名解」にアイヌ語地名研究の原点を見いだし、そして知里真志保の「地名アイヌ語小辞典」などに、整然と体系立てられた、学問としての「アイヌ語地名学」を見ることができるわけです。

「旭川」のような「誤訳の歴史」を識る上では、永田の「地名解」はとても良いテキストなわけで。歴史的な資料としては、じゅーぶんに価値があります。

前フリ長くてすいません。次回は「知里真志保先生の炸裂する舌鋒」の実例をお目にかけようと思います。もし、読後に気分を害しても責任は負いませんのでその点ご注意を(笑)。

「アイヌ語」の書庫を作ったほうがいいかもですね……。

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