結論が良くわからない
すいません(汗)。えーっと、申し訳ないですが、2 点に分けて回答します。まず、「大空襲の夜に地下鉄は走ったのか」という問いについては、「Yes」という結論です。ただ、「乗務員の機転により地下鉄が運行されたのか」という問いに関しては「No」だと考えています。
では、その電車は何時に走ったのか
断定はできませんが、本来非営業の「職員用電車」が運行を予定していた時刻前後と推定しています。ただ、乗務員が、大空襲による被害が地下の軌道に及んでいる可能性があると考え、その確認を行うために、通常よりも早めに運行した可能性も十分考慮に値すると思われます。
具体的には、心斎橋駅を 4 時前後に発車した可能性が考えられるかと思います。
「3 時半ごろに発車したと思う」という証言があったが
極限状態にあっては体感時間に多少のずれが生じても不思議は無いものと考えます。1 時間の避難行だと思っていたものが実際には 1 時間半だった、といった可能性は十分あり得るかと思います。その仮定だと梅田駅で始発を待つ時間が短くなるが
阪急梅田駅周辺は比較的空襲の被害が少なかったと言われます。ですから、避難してきた人たちも一息つくことができたのではないかと想像しました。また、少し落ち着きを取り戻した状態で一ヶ所に留まって始発を待つという行為は、実際以上に長く感じられるものです。あるいは、未明に大空襲があった当日ですから、阪急電車の始発が時刻表通りに出発しなかった可能性も十分考えられます。
仁川駅に到着した時点で夜が明けた、という証言については
2009 年の今、梅田から仁川までは約 20 分で辿り着ける(西宮北口での乗り換え時分を無視した場合)とされています。太平洋戦争末期での悲惨な状況下であったとしても、梅田を 5:30 に出発して 6:20 頃に仁川に辿り着ける可能性は十分あるものと考えます。なお、神戸における 2009/3/14 の日の出時刻は 6:12 とのことです。
乗務員が名乗り出なかった理由は?
「夜中に臨時電車を仕立て上げた」という仮定が誤りだったから、と推測します。新発見に値する証拠はありますか?
残念ながらありません。ですので、全ては推論に過ぎません。とは言え、自分では矛盾点の少ない推論だと思っていますし、不自然なまでに整合性が取れた推論でもないと思っています(整合性の取れた推論は、しばしばとんでもない間違いであることがあります)。もっとも、北行の「職員用電車」が運転されていた、という話が誤りであれば、全てが水泡に帰す可能性が高かったりもしますが……。
いつか、このネタでノベライズしてみたいものです(←
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