2009年4月7日火曜日

幻の電車の正体

その時、電車が走った

大阪大空襲の夜に、地下鉄は走ったのか……の続きです。

大空襲の夜、地下鉄で避難した!」という経験を語る人は少なくなく、区間について尋ねてみると、誰もが「心斎橋から梅田まで」と口にします。これだけ肯定的な証言……というか経験談を並べられてしまうと、いきおい「地下鉄は走った」という結論に傾かざるを得ません。

では、「その時」はいつだったのか

では、仮に「大阪大空襲の夜に地下鉄が走った」のだとして、それは何時頃の出来事だったのでしょうか。フジテレビで放送された番組では、次のような証言が取り上げられていました(要約)。

地下鉄に乗ったのは三時半頃だと思う。梅田に避難した後は、阪急電車で仁川まで避難したのだが、仁川に着いた頃にちょうど夜が明けた。梅田で阪急電車が動き出すまでは、一時間以上は待ったと思う。

仁川は阪急今津線の駅で、神戸線の西宮北口から宝塚方面にちょいと行ったところです。戦時中で敗色濃厚だった昭和 20 年であれば、梅田から仁川までは小一時間かかったと考えられます。空襲があったのは 3/14 の未明ですから、夜明けは 6 時をちょっと過ぎたあたりでしょう。

また、当時の阪急電車の始発は 5 時頃だったとされます。従って、「梅田で小一時間待たされた」という証言が正しいと仮定すると、「三時半ごろに地下鉄に乗って避難した」という証言にも矛盾は生じません。

心斎橋から梅田までですが、地下鉄開業当時の所要時間は 5 分だったそうです。今は逆にもう少しかかるような気がしますが……(電車の間隔が結構短いため、各駅での停車時間が意外と長い)。

佐藤栄作は大阪大空襲を予期していた

もう一つ、「地下鉄は走った」説の補強材料として、「大阪大空襲は予期されていた」という事実があります。これは「ルーズベルトは真珠湾攻撃を知っていた」という類の陰謀論ではなく、3/10 未明に未曾有の規模での東京大空襲があったことから「次は大阪だろう」という風に類推しただけのこと……と考えるのが自然です。

当時、鉄道省の大阪鉄道局長を務めていたのが、かの佐藤栄作だったそうなのですが、佐藤は来るべき大空襲に備えて、緊急の軍用列車を運行する手筈を整えておくよう指示をしていた……とされます。もっとも、佐藤が管轄していたのは所謂「省線」あるいは「国鉄」であって、「地下鉄」に対してどの程度の影響力を持っていたかは定かではありませんが……。

ただ、「国家総動員法」なる法律のもとに、有力私鉄の大型合併や国有化が頻繁に行われていた時期でもあり、今では想像も出来ないほど「国鉄」と「私鉄」の結びつきは強かった……のだと思われます。

本題に戻りますが、こういった「大空襲への備え」は、実は地下鉄でもあったのだそうです。具体的には、平常時は夜間に電力の供給を止めていたものを、緊急時への備えとして、空襲の当日(3/14 未明)は終夜電力の供給を止めなかったのだとか。つまり、平常時と比べて電車の「スクランブル発進」は容易だった、ということになります。

やはり電車は走らなかった

さぁ、このように「乗客側の証言」と「傍証」が出そろいました。しかしながら、肝心の「電車を動かした」という証言だけが出てきません。これは一体何を意味するのでしょうか。

真っ先に思いつくのが、当事者が既に物故してしまったという可能性です。地下鉄で避難した人は数百人とも言われますが、肝心の「電車を動かした」当事者は数人だと考えられます。確率論的に見ても分が悪いです。

ただ、もう一つの可能性として、「やはり電車は走らなかった」という考え方も、私は捨てきることができません。いや、実際には地下鉄に電車は走りました。それは否定しようがないと考えています。「電車が走らなかった」というのは、「臨時電車は走らなかった」という意味です。

当事者の証言の中で、「毎朝(未明)、(天王寺、あるいは難波あたりから)各駅に駅員を配置するための(職員用の)電車が走っていた」というものがありました。数百人の命を救った電車は、実はこれだったのではないか、と考えています。

幻の電車の正体

職員を配置するための電車(もしかしたら、始発前の軌道チェックを兼ねていたのかも知れません)ですから、当然のことながら、朝の始発よりは少し早いタイミングで走ることになります。阪急電車の始発が朝の 5 時頃だったと言いますから、地下鉄もおそらく似たような時間に始発電車が走っていたと考えてよいでしょう。それに間に合わせるための電車であれば、朝の 4 時過ぎに走っていたと考えても不思議はありません。

日本の鉄道は「定時運行」を誇りますが、果たして始発前の職員用電車まで秒刻みの正確さを誇ったかと言うと、正直、何ともわかりません。また、未曾有の大空襲によりミナミが焼け野原となったことを考えると、少しでも早く電車をミナミからキタに移動させようとするのも、市民の財産である地下鉄車両を守る意味では正しい判断です。もちろん、空襲で地下鉄の軌道に歪みが生じていないかを確かめる必要もあったでしょう。

いずれにせよ、「いつもの職員用電車」が、いつもよりちょっぴり早いタイミングで走ったと考えても不思議はない……と思うのです。「いつもの職員用電車」は、心斎橋駅のホームに大量の市民が避難しているのを見て、何が起こっているかを瞬時にして悟ってドアを開けた……だけのこと……ではなかったかと考えたのですが、いかがでしょうか。

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