前回のあらすじ(←
えーと、どんな事故だったかと言いますと、(1) 夜中にトンネルの中で食堂車が火事になって、(2) とりあえず、ルール通りに列車を止めて、(3) 必死に火を消したけど消えてくれなかったので、(4) 仕方ないから燃える食堂車を切り離そうとしたけれど、(5) あともう少しの所で架線が燃えてしまって、電気が来なくなって身動きが取れなくなった、といった所です。Unfortunately, yes...
この事故では 30 名の犠牲者が出たわけですが、全員が一酸化炭素中毒死だったとされます。ここで誰もが考える疑問が……「トンネルの中で止まったのが拙かったんじゃ?」と。結論はと言うと、"Unfortunately, yes." となるのでしょう。鉄道トンネルのような閉塞的な空間では、消防自動車が到達することはできませんから、消火活動には限界があるでしょうし、トンネルの中は、煙や異常燃焼時に生じるガスが充満しやすいので、窒息や中毒のリスクも高まります。北陸トンネルは複線断面のトンネルなので、昔のトンネルよりは窒息の危険性は少なかったとは言え、トンネルはトンネルですからね……。
列車に火をつけて
てなわけで、そろそろ手抜きモードに(←本件事故を重く見た国鉄は、外部より学識経験者も招聘して「鉄道火災対策技術委員会」を設置、1972 年 12 月の大船工場での定置車両燃焼実験や翌 1973 年 8 月の狩勝実験線における走行車両燃焼実験を経て、1974 年 10 月に宮古線(現・三陸鉄道北リアス線)の猿峠トンネルにおいてトンネル内走行中の車両を使用した燃焼実験を世界で初めて実施し、その結果からこれまでの「いかなる場合でも直ちに停車する」よりも「トンネル内火災時には停止せず、火災車両の貫通扉・窓・通風器をすべて閉じた上でそのまま走行し、トンネルを脱出する」ほうが安全であることが証明されたため、運転規程を改めた。
アクシデントの前には無数のインシデントが……の実例
それはそうと、こんな裏話もあったそうで。「きたぐに」事故の前の 1969 年にも北陸トンネル内を通過中の寝台特急「日本海」で列車火災が発生したが、この時は列車乗務員が機転を利かせて当時の規程を無視して列車をトンネルから脱出させ、速やかな消火作業を可能とした。このため死傷者を生じさせなかったが、国鉄上層部はこれを「規程違反」として乗務員を処分し、運転マニュアルの見直しを行っていなかった。
法廷の場でこの事故に対する国鉄幹部の責任が追及される事はなかったが、多数の犠牲者を発生させた結果責任として機関士と専務車掌の 2 人が業務上過失致死傷罪で起訴された。トンネル内で列車を停止したのが被害を大きくしたなどといった理由により裁判で長期にわたって争われたが、1980 年 11 月 25 日に金沢地方裁判所で下された判決では、事故当時乗務員のとった行為は「規定を遵守し最善を尽くした」とされ、また車両の切り離し作業におけるブレーキ管のホースの切り離し等、機関士にとって不慣れな作業による遅れは「許される範囲」として 2 人とも無罪が確定した。
また、本事故後、先述の「日本海」の乗務員に対する処分も撤回された。
でも……、この問題は本当に難しいですね。何よりもダメなのは「結果オーライ」で話が済んでしまうことで。この理屈だと「満州事変」も正当化されかねないわけで。
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