三保飛行場
今日は時間が無いので手短に……。昨年の秋の話になるのですが、ふと時間ができたので、静岡県はかつての清水市(今は静岡市)周辺をぶらぶらしてました。「三保の松原」という景勝地……ですよね……があるので、ちょいと立ち寄ってみました。
造船所があったり、清水エスパルスの練習所があったり、水族館?があったり、民家があったりで、何とも面白いところだな……と思っていたのですが、そのうち、なんと飛行場まで出てきました。
「無断で飛行場内に立入ると航空法により罰せられます」とあります。確かにそうなのでしょうが、飛行場の敷地と砂浜を分け隔てるのはびみょうな有刺鉄線のみ。これじゃあちょいと立ち入ってみたくなりますよねぇ。
とは言え、不法侵入しても何の意味も無いので、眺めただけですけどね。
先程の写真では、単なる芝生の広場にも見えますが、このアングルで見ると、確かに「飛行場」です。
ね? 飛行場でしょ。「33」とありますから、これは「330 度」、すなわち真北から 30 度ほど西にずれた方角(あえて言うなら「北北西」)の滑走路、になります。
エンケイと言えばアルミホイールですが、滑走路の遠景はこちら。
うむむむむ……。この廃墟のような佇まい。これはもう滑走路としては使われていないのか……と思ったりもしましたが、実はこれでも現役の滑走路なのだとか。誰が使うかというと、赤十字が吸収合併……あ、筆が滑りました。赤十字が使用するのだそうです。
「甲飛予科練之像」
近くには駐車場があり、こんな像が。随分と小柄な人をモチーフにした像ですね。まだ新しい石碑らしく、案内板もちゃんとしていました。
「甲飛予科練之像」とあります。「予科練」という言葉は皆さんはご存じでしょうか。私は、聞いたことはありますが、意味するところは正確には知りません。
「甲飛予科練之像」記念碑案内
「甲飛予科練」とは太平洋戦争時、海軍航空隊に入
隊した甲種飛行予科練習生のことであり、旧制中
学三年生から、志願により選抜された者たちであ
る。
昭和十九年九月一日 清水海軍航空隊がここ三
保の地に開隊され、予科練習生十四、十五、十六期
生千数百余名が航空兵を目指して、日夜厳しい教
育と訓練に明け暮れた所であります。
当時、学業半ばにして国難に殉ぜんと、全国より
馳せ参じた若人、今だ思慮分別も熟さず、心身も長
じていない少年期の練習生が、「潔く散ってこそ若
桜の生きがい」と生還を期し得ない精神と技量を
養成されました。
思えば、純朴にも祖国のため何の疑念も抱く事
なく、身命を捧げんとしたのであります。
愛国心に徹した人生観、青春のひととき、苦楽を共
に過ごした霊峰富士を眺める時、清水海軍航空隊
がここにあり、わたくしたち甲飛練習生の跡であ
ると、そして更に後世に戦争の悲惨さを伝え平和
の尊さを願いながら、この碑を建立しました。
平成十八年二月十一日
いろいろと考えさせるところがありますが、まずは全文を転載してみました。どなたかの権利を侵害しているようであれば、おそれ入りますがご一報をお願いいたします。
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