2009年1月30日金曜日

抱徳煬和と恃徳者昌 ~徳山ダムにて中国?の古典に親しむ~

岐阜県は徳山ダム周辺の国道 417 号線のトンネルに掲げられた「蘊蓄のあるお言葉」を訪ねてシリーズ、おそらく今日で最終回です。たぶん。Maybe.

(9) 境の尾一里岩隧道(北口)

徳山ダムを通り過ぎて最初のトンネルです。ここで「謎の言葉」に気づく人も多いのでは……。
今更言うまでも無いのですが、かく言うわたくしもそうでした。さてと、あらためてクローズアップ Hyundai です(別名「トリミングしただけ」)。
抱徳煬和」とあります。ここは比較的車を止めやすい(止めてからテクテク歩いたわけですが)ので、しっかりと説明文までカメラに収めてきました。
荘子」だそうです。今までいろいろ出てきましたが、荘子は初めてかも……。意味はご覧頂いたとおりです。

(10) 池太沢夜叉隧道(北口)

さて、オーラスにして最後の難関がやってきました。
なんせ 1982 年に開通した、ここでは比較的古株のトンネルです。植物(何ですかね、これ)も茂っていますし、コンクリート部分も酸性雨の影響なのか、結構黒ずんでしまっています。

改めて「トリミングしただけ」の写真もご覧ください。
松田優作さんも「なんじゃこりゃああ☆」と口走っているに違いありません(最後の「☆」は何?)。こうなっては名探偵ならではのスーパーな推理力を総動員しててきとーな答をでっち上げるしかありません(ぉ

まず、傾向と対策として……。ここまでの 9 ヶ所には、全部「徳」の字が入っていました。となるとこの 4 文字の中にも「徳」の字が含まれていると見るのが自然です。ただ、どー見ても最初の文字も、3 文字目も 4 文字目も「徳」には見えません。ここは 2 文字目が「徳」であると考えるのが自然です。また、最後の文字が「昌」であることも、ほぼ確実と言っていいでしょう。

これで、この文字は「●徳●昌」であることはほぼ確定です(←

冴え渡る名推理 ←

最初の文字がびみょうですが、「恃」に見えるような気がします。あまり使わない字ですが、「自ら恃(たの)むところが大きい」なんて言い方をしますよね。てことで「恃徳●昌」っぽく思えてきます。こうなれば簡単です。あとはググるだけです。

はい、出てきました。どうやら「史記 商君傳」のお言葉のようですね。「徳を恃む者は昌(さか)える」ということでしょう。え?「昌える」なんて言うのかって? ええ。商売繁昌って書きますよね。:-)

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2009年1月29日木曜日

有徳者必有言と在徳不在険 ~徳山ダムにて中国?の古典に親しむ~

シリーズものはさっさと終わらせたほうがいいかな、ということで。岐阜県は徳山ダム周辺の国道 417 号線のトンネルに掲げられた「蘊蓄のあるお言葉」を訪ねてシリーズは、まだまだダラダラと続きます(長いぞ)。

(7) 道場山隧道(北口)

はい。前回から「帰り道」に入っていますが、北から 2 番目の「道場山隧道」北口の写真です。
気になる「蘊蓄のあるお言葉」はと言うと……。
有徳者必有言」と来ました。何だか有識者会議みたいですね。入口の写真をご覧頂いてもお判りのように、「事 故 発 生」と言われかねないような場所なので(← 言い訳 120 %)、説明文の写真などは撮っていません。それどころか、車から降りてません(←

あ、でも、ちゃんとハザードを出して停車して撮影してますよ。もちろん……。

うん、でも、こいつの出典は簡単にヒットしますね。「論語」by 孔子みたいです。そういえばラファエル・ロンゴというサッカー選手が居ましたが、今は何をしてるんでしょうか。

(8) 大徳之山隧道(北口)

はい。次(←
えと、ここも写真はいちまいだけです。なので、拡大(正確には「トリミング」)したものを。
在徳不在険」と来ました。えーと、こいつは「十八史略」の何か、ですね。

十三不塔とは違うようです

てゆーか、十八史略ってなーに?(つぶらな瞳で)

十八史略

『十八史略』(じゅうはっしりゃく)は元の曾先之によってまとめられた歴史書。三皇五帝の伝説時代から南宋滅亡までの歴史を編年体で記述。

中国の歴史を簡単に理解するために正史(次項参照)の中から記述を抜き出して、作られたものであると陳殷はいうが、現在の研究では『資治通鑑』などからの抜書きも多いことが判明しており、野史(勅選書以外の民間人によって書かれた歴史書)も多く取りいれられている。
(Wikipedia 日本語版「十八史略」から引用)
ぬぉぉ……。これって、「出典は日本の歴史からです」って言われているのに等しいノリですよね。……どうやら「在徳不在険」は戦国時代(紀元前 403 年あたり~紀元前 221 年?)の「魏」に関する記述の中に出てくるようですが、春秋戦国はさっぱりわからないのでアレですね(何ですか)。

あ、紀元前 221 年に秦の始皇帝があーちゃらこーちゃら、ですか。ということは始皇帝が出てくるよりも昔の話なんですねぇ。何だか無駄に凄い気がします(←

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2009年1月21日水曜日

作徳心逸日休 ~徳山ダムにて中国?の古典に親しむ~

トンネルの入り口に記されている「蘊蓄のあるお言葉」を見て回っているわけですが、察しの良い方はお気づきの通り……というよりは殆どの方が既にお気づきだと思いますが、どれも「」という言葉が含まれています。「よく頑張って集めましたね」と誉めてあげたいくらいです(←

さて、「徳之山八徳橋」以北のトンネルの入り口に何ら「蘊蓄のあるお言葉」が無いことを確かめた私は、「じゃ、そろそろ引き上げますか」とばかりに来た道を引き返していたのですが、さっき通った「漆原乙女隧道」の入り口を見てみると、なにやら違う文字が……。そう、南側の入口と北側の入口では、それぞれ違う「お言葉」が書いてあったのでした。トンネルを出たところで、あわてて引き返したのは言うまでもありません。

(6) 漆原乙女隧道(北口)

てなわけで、「漆原乙女隧道」の北側入口の画像を。
作徳心逸日休」と来ました。ついに六文字に突入です。ネタが尽きそうだったのでしょうか?(←
ふーん。経書なんですね(笑)。

「出典は『経書』からです」「えらいざっくりやな」

なぜ「経書」という表現が笑えるのか。改めて「経書」の何たるやを見ておきましょう。

経書(けいしょ)は、儒教でとくに重視される文献の総称。経典(儒家経典)ともいう。

もともとは聖人の著作のみを指すが、後世には意味が拡大され、賢人の著作や言行録、一部の注釈類も経書として扱われるようになった。経書は中国の伝統的な図書分類法である四部分類において大分類の1番目に挙げられている。具体的には戦国以来の六経(楽経は早くに亡び、五経となった)、五経・四書(四書五経を参照)・十三経を指す。また経書の注釈を主とする研究を、経学と呼ぶ。
(Wikipedia 日本語版「経書」から引用)
ポイントは「儒教でとくに重視される文献の総称」というところです。より具体的に言えば、「論語」や「孟子」「礼記」などの総称が「経書」と呼ばれるわけで……、要するに、この説明は「手抜き」だということ?(ぉ

まぁ、それでも「二宮尊徳」とか「徳光和夫」とかが出てこないだけマシと言えるのかもしれません(←

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2009年1月20日火曜日

徳廻乎天地 ~徳山ダムにて中国?の古典に親しむ~

徳山ダムにて中国?の古典に親しむ

そろそろどんなネタだったか忘れられている頃だと思いますので、再度地図を用意してみました。
というわけで(は?)、岐阜県は徳山ダム沿いの国道 417 号において、トンネルの入り口に記された暗号(違うだろ)を解き明かそう、という企画です。

手前の 4 つは、既にお見せしました通りです。「以徳さんシリーズ」(「以徳行仁」「以徳報徳」)が続いて、初の三文字ネタ(「徳潤身」)の次は人名っぽいネタ(「徳厚流光」)が出てきました。

(5) 漆原乙女隧道(南口)

さて、次は「漆原乙女隧道」です。なんだか凄い名前ですが……。
徳廻乎天地」と来ました。初の五文字ネタです。

気になる意味はと言えば……。
む、読めません。すいません、ここではこれ以上寄って撮影しませんでした。とりあえず「キーワードだけ読めたらいいや」、というナイスな考えだったもので。

案の定と言うべきか、ググっても「これ!」というものは出てきません。というか、何もヒットしません(ぁぅ)。

そして、徳山ダムのダム湖にかかる長~い橋、「徳之山八徳橋」を超えると、2006 年に供用が開始された新しい道路が続きます。
ちなみに、先日も書きましたが、これらの区間のトンネルには、何も「蘊蓄のあるお言葉」は記されていません(あてが外れました)。
というわけで、引き返します。

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2009年1月16日金曜日

徳潤身と徳厚流光 ~徳山ダムにて中国?の古典に親しむ~

何の反響も無いまま、ひっそりと企画は続きます(笑)。

岐阜県は徳山ダム周辺の国道 417 号線のトンネルに掲げられた「蘊蓄のあるお言葉」を訪ねてシリーズはさらに続きます(長いぞ)。

(3) 大徳之山隧道(南口)

徳山ダムを脇目に見つつ(わき見運転はやめましょう)、国道 417 号線を北に進むと、「大徳之山隧道」が見えてきます。おお、珍しく目に優しい写真が撮れました(笑)。
徳潤身」とあります。どんな意味でしょうか。
ふーん。大学なんですね。大学って何?

大学(だいがく)とは儒教の経書の一つ。南宋以降、『中庸』『論語』『孟子』と合わせて四書とされた。もともとは『礼記』の一篇であり、曾子に作られたとも秦漢の儒家によって作られたとも言われる。

朱子学において自己修養から始めて多くの人を救済する政治へと段階的に発展していく儒者にとっての基本綱領が示されているとして重要視された。その内容には「明明徳」「親民」「止於至善」の三綱領と「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」の八条目が提示されている。
(Wikipedia 日本語版「大学 (書物)」より引用)
ふぅーん。だんだん出自が怪しくなってきましたね(ぉぃ

(4) 道場山隧道(南口)

さて、「大徳之山隧道」を抜けると、次は「道場山隧道」です。
びみょうにオーバーですが、これもまずまず見やすいですね。例によってなにやら書いてあります。「萩 原 流 行」あたりでしょうか?(←
正解は「徳厚流光」でした。例によってさっぱり聞いたことのない言葉です。説明を見てみましょう。
ふーん。春秋穀梁伝なんですね。しかも一発で変換されるとは素晴らしい > ATOK 2008

春秋穀梁傳(しゅんじゅうこくりょうでん)は、『春秋公羊伝』『春秋左氏伝』と並ぶ春秋三伝の一つ。正確には経書ではないが、準経書扱いされる書物。十三経の一つであるが、五経には入らない。経学の重要書物。
(Wikipedia 日本語版「春秋穀梁伝」より引用)
おお。「春秋左氏伝」なら聞いたことがありますよ。……聞いたことがあるだけですけど。なんで聞いたことがあるんだろ。さっぱりわからん……(←

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2009年1月15日木曜日

ライフ・ウィズ・礼記(←

岐阜県は徳山ダム周辺の国道 417 号線のトンネルに掲げられた「蘊蓄のあるお言葉」を訪ねてシリーズはさらに続きます(長いぞ)。

ライフ・ウィズ・礼記(←

「境の尾一里岩隧道」(南口)に掲出された「以徳報徳」という言葉、これは「礼記」に由来するそうなのですが、じゃあ「礼記」って何よ、と。

礼記らいき)とは、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を、戴聖が編纂したものである。全 49 篇。これは唐代以降、五経の 1 つとして尊重された。現在通行している『礼記』は後漢の鄭玄注、唐の孔穎達疏の『礼記正義』(『十三経注疏』の一つ)や陳諸黷フ注釈した『礼記集説』など、多数存在する。
(Wikipedia 日本語版「礼記」より引用)
「らいき」って呉音ですよね。違うかな。ま、どーでもいいと言えばそれまでなのですが。

上限、低減?

鄭玄は、名前は覚えているのですが、何をした人だったか……。

鄭 玄(てい げん, 127 年(永建 2 年) - 200 年(建安 5 年))は、中国・後漢末期の学者である。中国人名は漢音で読まれることが多いが、鄭玄に限って慣習的に呉音で「じょう げん」と呼ばれることが多い。青州北海郡高密県(山東省高密市)の出身、字は康成。
(Wikipedia 日本語版「鄭玄」より引用)
あ。「じょうげん」も呉音なんですね。でも、確かに「ていげん」よりも「じょうげん」のほうが通りがよいです(私の中では)。で、何した人でしたっけ? 竹林の七賢でも無いですし、建安の七子でも無いですし。

略要

鄭玄の八世前には哀帝の時に尚書僕射まで昇進した鄭崇がいる。ただし鄭玄は 邑里の小役人に過ぎなかったが、貧窮をものともせず学に励み、22 歳で太学へ進んだ。さらに馬融らの当時一流の儒学者に師事した。勉学にいそしむこと 10 数年で郷里に戻り、学生を指導した。

44 歳の時に党錮の禁に連座し、以後は仕官することなく、家中で著述に専念することとなった。晩年には朝廷に徴されて、大司農となった。ただ、それは、鄭玄の本意ではなかったため、職を離れて生涯を研鑚に捧げた。門人の孫乾を劉備に仕官させた事でも知られている。
(Wikipedia 日本語版「鄭玄」より引用)
はっはぁー、なるほど。「三国志(演義)」の最初のアタマのしょっぱなのトップのほうでちらっと出てきたか名前が出たかのヒトですね

ひとやすみ

では、ちょっと徳山ダムを見ながら一休み……ということで。

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2009年1月14日水曜日

以徳行仁と以徳報徳 ~徳山ダムにて中国?の古典に親しむ~

岐阜県は徳山ダム周辺の国道 417 号線のトンネルに掲げられた「蘊蓄のあるお言葉」を訪ねてシリーズの続きです(長いぞ)。

(1) 池太沢夜叉隧道(南口)

はい。まずは最初のトンネルから。「鶴見トンネル」こと「池太沢夜叉隧道」です。
光の加減ですが、肝心の部分は超オーバーでさっぱり見えません(笑)。

まぁ、おおよそ想像はついていたので、少し寄って再度トライです。
以徳行仁」とあります。意味がさっぱりわからないので、ググってみましょう……。む、引っかかったのは一件だけ。しかも中文。うーむ……。

仕方が無いので、由来の部分を撮影したものを切り出してみます。
ふーん。孟子なんですね。

ちなみに、池太沢夜叉隧道は開通も 1982 年で、他のトンネルと比べてちょい古めだったので、このトンネルにも「蘊蓄のあるお言葉」があるとは思ってませんでした。トンネルに突入する直前に「あ、あった」と気づいたので、引き返す際に、最後に写真に収めたのでした。

(2) 境の尾一里岩隧道(南口)

では、次です。ちょいと先に進んだところにある「境の尾一里岩隧道」です。
はい。寄ってみましょう。
以徳報徳」とあります。「以徳シリーズ」第 2 弾ですね。「報徳」とあるのは報徳学園関係でしょうか……などと思ったら、ホントにそうみたいです(汗)。もちろん、ここのトンネルとは関係無いと思いますけどね。

こちらも、由来の部分を切り出してみます。
ふーん。礼記なんですね。礼記って何? てなわけで、気になる礼記の正体は明日にでも。Stay tuned !(←

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2009年1月13日火曜日

目指せ「抱徳煬和」コンプリート

目指すは「抱徳煬和」コンプリート

昨年の夏休み、北海道に旅立つ前日に、岐阜県は徳山ダムの周辺を回ってきました。理由は単純なことで、2008/6/8 の記事で書ききれなかった(調べきれなかった)点をフォローしようと思ってのことです。

岐阜県の国道 417 号は、徳山ダムが建設されるに当たって徳山バイパスに付け替えられたわけですが、その中のいくつかのトンネルには、なにやら蘊蓄のあるお言葉が掲げてあったのですね。
何だかわからないけれど、ちょっと気になるわけで。その時は「家に帰ってからググれば一発だろう」とか、「彭徳懐」とかワケのわからないことを書いていたわけですが……。ググってみても、意外や意外、どこにもまとまった情報は見あたりません。

そんなわけで、どーせ敦賀に行くんだし、敦賀を出港するのは朝の 1:15 だし、ということで、徳山ダムを再度訪れたのでした(前置き長すぎ)。

「蘊蓄のあるお言葉」のあるトンネルは意外と少ない

現地にて確かめてみたところ、意外や意外、2000 年以降に開通した「洞山鬼岩隧道」以遠のトンネルには「蘊蓄のあるお言葉」は皆無で、1982 年に開通した「鶴見トンネル」こと「池太沢夜叉隧道」と、1993 年から 1996 年にかけて開通した「境の尾一里岩隧道」「大徳之山隧道」「道場山隧道」「漆原乙女隧道」にそれぞれ掲出されているのみ、ということがわかりました。

久々に、地図をつけてみましょう。
これからは、南から北(下から上)の順番でご紹介しますが、実際に踏査した際には見落としや勘違いが多く、例えば一番手前の「池太沢夜叉隧道」の写真を撮ったのが一番最後だったりします。まぁ、その辺も追々ご紹介しましょう。

ちょっと分量がびみょうですが、続きは明日以降ということで。

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2009年1月11日日曜日

立山黒部アルペンルートの旅 ─美女平~立山─

本編もようやく最終回です。ネタに詰まったときの「つなぎ」的な扱いで失礼しました。

さて、「美女平」の駅にてケーブルカーが到着するのを待ちます。
ホームはご覧の通り、人山の黒だかり……じゃなくて黒山の人だかり。

もちろん、ホームにいる人は、ほぼ全員が観光客なので、こんな写真も撮れてしまいます。
ケーブルカーの写真なんて撮れたもんじゃありません。

車内の様子はと言うと。
はい、ご覧の通りです。よーく見ると「下り 貨車有 連続」と書いてある……ように見えます。

さて。ケーブルカーはあっさりと終点の立山駅に到着します。ケーブルカーのいいところは、途中すれ違う時もほとんどタイムロスが無いところですね。単線ですが、仕組み上は正面衝突のおそれが無いはずなので……。
車両の前になにやら見えます。これは……
このようになっていて、荷物を運ぶことができるみたいです。「貨車有」の「貨車」が、これのことみたいですね。

ケーブルカーというもの自体、ほとんど乗ったことが無い(あとは、比叡山坂本ケーブルくらい?)ので、もしかしたら意外と当たり前なのかもしれませんが、ケーブルカーに貨車がついているのにはちょいと驚かされました。確かに、山岳鉄道においては貨物輸送も重要な機能なので、あっても別に不思議はありませんが……。

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2009年1月10日土曜日

立山黒部アルペンルートの旅 ─室堂~美女平─

なぁんか頭痛がする……。気になるなぁ。

立山黒部アルペンルートの旅 ─室堂~美女平─

室堂からはバスに乗って、立山道路を美女平に向かいます。
色とりどりのバスが並んでいますが、室堂からは立山道路が下界(笑)まで伸びているので、気合いの入った観光バスなんかはここまで登ってくるようです。

ただ、我々は美女平までの乗合バスに乗車します。
車内は……と言うと、さすが美男美女だらけです(←
美女平行きの乗合バスは、くねくねと走りながら順調に高度を下げていきます。やがて森林限界も下回ると、このような美しい?紅葉も見ることができます。
さて。そんなこんなで美女平駅に着きました。前述の通り、このまま富山平野まで立山道路を経由して降りていくこともできるのですが、ここから、またケーブルカーが出ているので、これに乗車して立山駅に向かいます。

美女平駅の待合室には、こんなポスターが。
簡体字が 4 番目に下がっています(それがどうした)。

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2009年1月9日金曜日

立山黒部アルペンルートの旅 ─室堂~室堂─(←←

えいっ、ということで(謎)。

これは……。多分「ミクリガ池」だと思います。
いや、もしかしたら「ミドリガ池」かも。あれ、どっちだ?

次の写真は、もっと意味不明です(←
自分で撮影しておきながら、なんで撮影したかもさっぱり覚えていないわけで……。まぁ、もう 3 ヶ月も前の話なので、忘れてしまっていても不思議は無いんですけど。ふつーはこんな写真はボツにするんですが……。

さらに歩を進めます。
このニオイ、そして白っぽい谷は……。硫黄、ですねきっと。

「地獄谷」と言うのだそうですが、そこへの歩道は地獄への道でした(←
5 ヶ国語対応です。3 番目が簡体字で、5 番目が繁体字ですね。まぁどーでもいいことですが。

昨日の記事にも書きましたが、喘息が絶賛悪化中だった Bojan さん。原因は単に酸素が薄かっただけではなかったようで……。
喘息持ちは近寄るな」というお達しがありました。こんなところで発作を起こすわけにはいかないので、早々に退散したのでした。

あ、さっきの池は「ミクリガ池」で間違いなさそうですね。

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2009年1月8日木曜日

立山黒部アルペンルートの旅 ─室堂~室堂─(←

中一日ですが続けます。

立山黒部アルペンルートの旅も、ついに一番いい美味しいところにやってきました。大観峰から立山トロリーバスで室堂に向かいます。

室堂に辿り着いた我々を出迎えたのは……。
立山山頂簡易郵便局でした。さすが、ユニバーサルサービスですね。

さて、持病の喘息が絶賛悪化中だった Bojan さんは、よたよたとした足取りで散策に出かけます。通常の 0.3 倍の速さで動く状態でしたが、気にしてはいけません。

室堂駅、兼ホテル立山、兼郵便局その他の建物から外に出ると……。
森林限界を超えたことを如実に物語る広野がお出迎えです。まぁ、ベンチがあったりで、やたら人も多いですが。

少し散策して、後ろを振り返るとこんな感じ。
ホテル立山兼その他いろいろの姿です。冬場は豪雪に閉ざされるとかで、雪の自重で潰されないようにできているのだとか。

反対側には、こんな建物も見えます。
「自然保護センター」なのだそうです。何を保護しているのかは良くわかりません(←

自然保護センターには向かわずに、ミクリガ池のほうを目指します。
ということだそうです。順路を守りましょう。

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