世界で 8 番目の海難事故
ちなみに、ちょいと気になって調べてみたのですが、「友好記念館」の展示には、「世界で 8 番目」に大きい「海難事故」であると記されています。この「海難事故」には、例えば日本の児童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県のトカラ列島沖で米海軍の潜水艦によって撃沈された「事件」などは含まれていません。「対馬丸事件」の犠牲者は、おおよそ 1,400 人強と言われています。そういえばこちらも正確な人数がわかりませんね。
まぁ、上には上がいるもので、ソ連海軍の潜水艦に撃沈された「ヴィルヘルム・グストロフ号」は、9,343 人の犠牲者を出したと言われます。犠牲者の殆どがソ連の反攻から難を逃れようとした民間人だったそうです。
美談という名のエエ話
インディギルカ号の話に戻りましょう。とまぁ、冬場のオホーツク海に投げ出された人の多くが、残念ながら落命した、という話です。もちろん少なからぬ生存者もいましたし、船長も救助されました。1939 年といえば、まさにモランボン……じゃなくてノモンハン事件(全然違うね)が勃発した年で、日ソ関係は一触即発の危機にありました(日ソ中立条約が締結される前ですから、ソ連は数ある仮想敵国のうち、最も有力な一つだったことになります)。しかしながら、浜鬼志別の人々は、仮想敵国籍の船を救助するために、自ら遭難する危険も知りながら、躊躇うことなく厳冬の海に向かったと言います。ええ話やないですかぁ。
この「美談」を語り継ぎ、また、冷戦下で冷え切った日ソ関係を少しでも良いものにすべく、どっちも想像ですが(ぉぃ)慰霊碑が建立され、「日ソ友好記念館」が設置されたもの……と想像できます。想像ですけどね(← しつこい
「日ソ友好」の真実とは
この「日ソ友好記念館」(現・日ロ友好記念館)は、二階建ての建物です。二階に足を運んでみると……。これまたご覧の通り、マトリョーシカなどの民芸品が展示されています。当然のことながら、室内は無人です(笑)。とまぁ、ここまでだったら、別にふつーの話です。「エエ話やなぁ」で終わります。この「日ソ友好記念館」の凄いところはここからで……。お楽しみはこれからです。まだ引っ張りますよ!
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