バック・トゥ・ザ・猿払村
はい。8/25 の記事ですこーしだけ書いたように、Day 2 に、北海道は宗谷支庁にして宗谷郡の猿払村に行ってきたのでした。「猿払」は sar-put(さル-ぷッ)で、意味は「沼地の河口」といったところです。ただ、和人の感覚では「河口」は「川の出口」ですが、アイヌの感覚では「河口」は「川の入口」なので、その辺のニュアンスは大切にしたいものです(意味不明)。
いやぁ、久しぶりにアイヌ語ネタをやったので……懐かしいですね。
グローバルな視点からどうぞ
猿払村のどこを訪れたかと言うと、この辺です。はい。北海道の北部、サハリン(樺太)の南、沿海州の東側で、オホーツク海の西の端にあたります。いくらなんでもグローバルすぎましたか。すいません。
もうちょい縮尺の大きい地図がこちら。
はい。どこに行ったかはもうおわかりですね。「日ソ友好記念館」なる所に行ってきたのでした。これは、偶然 MapFan で地図をスクロールしていたところに見つけたもので、ソビエトが崩壊してもなお残る「日ソ友好記念館」とは何ぞや、ということで、興味津々訪問したのでした。
いや、少しだけ前提知識があったので、おおよそ想像はついていたのですけどね。
日ソの友好はこぢんまりとしていた
ということで……やってきました。「道の駅」も兼ねているみたいで、駐車場はおそろしく広いです。広いです……。ホントに広いです……。しかぁし。日ソの友好はやはり過去のものだったか、「日ソ友好記念館」は、土地の広さの割にはこぢんまりとした佇まいを見せていたのでした。
怒濤の本編は……つづくっ!
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