かつての国鉄士幌線には、糠平(ぬかびら)の先には「幌加」(ほろか)、「十勝三股」(とかちみつまた)の二駅がありました。糠平から十勝三俣の間は、1987 年に士幌線が廃線になるまで、約 9 年間列車が走らなかったという、極めて珍しい区間でした。法的には「鉄道路線」として存続しながら、実際はずーっとマイクロバスで代行輸送を続けていたのですね。
1977 年、かつて人口 1500 人を擁した十勝三股は 5 世帯、14 人まで人口が落ち込み、十勝三股・糠平間の乗客数も一日平均約 6 人となり、営業係数も 22,500 円まで上昇した(士幌線全体では 1,497 円)。そのため 1978 年に国鉄はこの不採算区間の運行を休止し、上士幌タクシーによるバス代行輸送へと切り替えた。もともと利用客が少なかったため、住民による大きな混乱もなく、バス代行輸送へは短期間で移行が実現した。ところが、その時点で前述の改正鉄道敷設法別表第 141 号に定められた計画は有効であったため、同糠平~十勝三股間を廃止ではなく全国でも珍しい「部分運休」とし、以後も線路、駅舎等は一切手がつけられなかった(解体撤去はされなかったが特に保守点検もされなかった)。
(Wikipedia 日本語版「士幌線」より引用)
100 円の利益のために 22,500 円の経費
人口 14 人で乗客が平均 6 人ということは、人口比で 42 % ですよね。それって凄いことじゃ……(そう来たか)。営業係数は、100 円の利益を上げるためにかかる経費のこと……だった筈。100 円の利益を上げるために 22,500 円必要というのは、かつて「日本一の赤字線」との名を馳せた美幸線の営業係数 3,859(1974 年度)が霞んで見える、破壊的な数字です。http://kiha-yuni.hp.infoseek.co.jp/haishi/keisuu/ha.html によると、美幸線が廃止された時の営業係数は 4,731 だった模様。1977 年度の営業係数は 2,817 とのことで、1974 年度よりは改善していたようです。
人間万事塞翁が熊(ぉ
そして、運休された糠平-十勝三股の間がどうなったかと言うと……。1987 年の全線廃止においては、帯広~糠平間の線路等はほどなく撤去されたが、糠平~十勝三股間においては部分運休から九年の歳月を経て線路が草木に埋もれ、2 本のレールの間から木が生えるという惨状や、多数存在しているアーチ橋の劣化等といった物理的要因が重なり、全線廃止後も同糠平~十勝三股間に限ってはほとんどの遺構を放置するしかなかった。先に運休となった区間の線路が後まで残るという数奇な運命に加え、景観の美しさ、多数のアーチ橋等が鉄道ファンを魅了し、同線はいわゆる廃線めぐりの草分け的な存在となった。
(Wikipedia 日本語版「士幌線」より引用)
いやぁ、世の中どう転ぶかわからないものですね。実際こうやって、遺構をわざわざ見に来た人間もいるわけですから。埋蔵近代化遺産
さて、幌加からさらに北に 8 km ほど進むと、かつての十勝三股駅跡に辿り着きます。草むらの中の看板が気になったので、ちょっと寄ってみました。
なるほど……。前述の理由で撤去工事を行うことができなかったので、色んなものが草むらに埋もれたままになってしまったのですね。例えばこんなものが。
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