目梨郡には羅臼町しか無い件について
羅臼町は、北海道は根室支庁管内の目梨(めなし)郡というところにあります。ちなみに目梨郡には羅臼町しかありません。1923 年に「忠類(ちゅうるい)村」「薫別(くんべつ)村」「崎無意(さきむい)村」が隣郡の「標津(しべつ)村」と合併した際に、「標津郡」に取られてしまった、という歴史があるみたいです。大正の大合併ですね(笑)。以来、目梨郡は羅臼村(←植別村)が孤高を守ってきた、となるようです。それと「植別」は「うえんべつ」で、間違ってもウエンツではないので注意が必要です。試験に出ます(←
ちなみに、この「うえんべつ」ですが、wen-pet(うぇン-ペッ)で「悪い川」という意味なんだそうです。なんかウエンツが気の毒になってきました。(←
あ、「目梨郡」の「めなし」の意味は「東」だそうです。うん、確かに東のほうにありますもんね。そのまんま。
ひたすら根釧台地を右往左往する
さて……。目梨郡羅臼町から、標津郡標津町、そして標津郡中標津町と駆け抜けたわけですが……。天気が良くなかったものですから、写真も殆ど撮っていません。手元の写真をチェックしたのですが、2 時間半にわたって一枚も撮っていなかったようです(笑)。いや、決して見所が無かったわけじゃない……と思いますよ、うん。羅臼から標津までの国道は、根室海峡沿いをひたすら南下する道なので、天気が良ければ左手に国後島が望めた筈なのですが、あいにくの天候に阻まれました。ちょいと残念です。
別海町にパイロットファームの遺産を……
標津からは、そのまま野付半島の横を抜けるのではなく、中標津、そして別海を抜けるルートを取りました。中標津を経由したのは、どの程度の規模の街か見てみたかっただけなのですが、別海については良からぬ思いもありました。「パイロットファーム事業」はご存じでしょうか。今や Wikipedia に記事すら立たないような過去の遺物ですが、かつて、この根釧台地を一大酪農地帯にすべく、行政主導で大がかりな「開拓事業」が行われていました。戦後の高度成長期にさしかかろうかとした時期で、世界銀行の融資を受け、大型機械を大量導入して……派手にやったらしいです。
ただ、案の定と言うべきか、根釧台地の自然は厳しく、やがて一軒、また一軒と、離農者が増えていった……と聞いていました。まぁ、開拓地に離農者はつきもの……と言えばそれまでなんですけどね。
「別海」は「べっかい」に非ず
なので、その開拓事業の中心地だった「別海町」の衰退ぶりは目を見張るものがあるだろう……という、不謹慎な期待が、実はあったのです。ところが、実際に別海に行ってみると……、ちゃんと町として機能していますし、決してゴーストタウンにはなっていませんでした。なんか、先入観だけで随分と失礼な決めつけをしていたんだなぁ、と己の不明を恥じました。
まず、盲点だったのが、別海は中標津と根室の間に位置する、ということ。根室から札幌に出るには、おそらく中標津から丘珠(札幌)までちょいとひとっ飛び、が一番速いと思われるのですね。別海は、ちょうど空港バスのルートに位置するのでした。なので、中標津から別海までの道路は、国道ですらないのに、それなりに通行量が多かったのでした。
記念撮影装置、稼働中
しかも、別海から厚床(根室市)までは国道 243 号となるのですが、記念撮影装置まで用意されているしまつ……。今までも何度か見かけたものは、だいたい停波中だったのですが、こいつは、ばりばりデムパを出しまくってました……。www.bojan.net
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