怪しい築堤
さて、頓別川を渡り、まさに海沿いを進んでいると、山肌が迫ってきます。その麓には、不自然に勾配の少ない築堤の跡が……。いかにも鉄道の跡っぽいですね。そういえば、浜頓別から、これから向かう北見枝幸までの間には、かつて国鉄の興浜北線が走っていたのでした。おそらく、その跡なんでしょうね。
神威岬
国道 238 号は、まっすぐ南東に向かって延びています。やがて、「北オホーツクトンネル」なる、比較的新しそうなトンネルが見えてきました。見た感じ、旧道が残っていそうだったので、旧道を進んでみることにしました。「北オホーツクトンネル」でバイパスしていたのは、神威岬でした。ちゃんと灯台もあります。
正式名称は「北見神威岬灯台」と言うようですね。立派な案内板も用意されていました。「記事」の部分が消されている理由はちょっとわかりませんが……。
ここもまさに、灯台と国道(旧道)の間に、かつての興浜北線が通っていたようです。灯台への坂道を歩いて登ると、踏切跡と思しきところがありました。写真は枝幸方向です。
「西條」ふたたび
興浜北線の終点は「北見枝幸駅」でした。枝幸町にも、かの「西條」があるのですが、枝幸店は、1 階建てで広々とした、これまた今風のスーパーでした。「○武」ではなく「○友」かな、といった雰囲気です。で、その「西條」の向い側がバスターミナルになっていて、その 90 度向かいに「北見枝幸駅跡」がありました。文章では位置関係が良くわからないと思うので、地図もつけておきますね。
赤い道路が、かつての興浜北線の跡地です。
北見枝幸駅跡
「北見枝幸駅跡」の写真です。実際に行ってみて初めて理解できたのですが、枝幸町は宗谷支庁内で 2 番目に大きい町なんですね(浜頓別や豊富より大きい)。なので、天北線経由で浜頓別から鉄道が敷設されたのも理解できますし、美深から枝幸まで鉄道を敷設しようとした(途中の仁宇布まで完成したのが、かの「美幸線」)のも、決して荒唐無稽なことではなく、それなりには意味のあることだった、とわかりました。
まぁ、現地に行かなくても、国勢調査のデータとかである程度はわかる話ですけどね。ただ、町並みとか活力のようなものは、やっぱ実際に行ってみるのが手っ取り早いということも、改めて実感できました。
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