2008年4月4日金曜日

達也が嗤う、その陰できっと哲也も嗤う

「クイーンの色紙」も良いけれど

「好きな作家は?」と聞かれた時は、「鮎川哲也」と答えるような気がします。厳密には、作家と言うよりは「推理作家」なんですけどね。

鮎川哲也は、「本格推理の鬼」として知られ、2002 年 9 月 24 日に 83 歳で亡くなっています。没後、光文社文庫や創元推理文庫から代表作(「黒いトランク」とか「ペトロフ事件」とか、短編では「赤い密室」や「碑文谷事件」、「三番館シリーズ」など)が復刻されたのを良いことに買いあさっていたのですが、さすがに没後数年経つので、そろそろ忘れられつつあるかな……と思い、しばらく遠ざかっていました。

りら荘事件」や「死者を鞭打て」は、復刊されることは無いだろうと踏んで、古本を入手したのですが、後に「りら荘事件」は復刻されましたね。

鮎川哲也の新作?(復刻だって)

ところが、先日「イオンモール橿原アルル」(旧「ダイヤモンドシティ」)の書店に立ち寄って、売り場を眺めていたところ、光文社文庫から何冊か新刊が出ている模様。これはチェックしないわけにはいくまい、と思いながら、家に帰って Amazon.co.jp でチェックしようと思ったのでした(ははは)。

やっぱり、書店の限られたスペースで確認するのは面倒ですしね。それに Amazon.co.jp の場合、出版時期でソートできたりするので……。

さて、その Amazon.co.jp でチェックした結果なんですが、2003/12 に創元推理文庫から「モーツァルトの子守歌」が発行されてから、2 年の沈黙を経て 2006/5 に、件の「りら荘事件」が復刻されています。

なるほど、2 年間も音沙汰が無ければ、「復刻されることは無いだろう」と思い込んでも不思議は無いですよね。他にも「朱の絶筆」も同類で、2007/2 に復刻されたのですが、その前に古本を入手してしまいました。:-)

江川が嗤う(違)

長編小説については、普通は一冊で一編なので、改題されたり、間違えて買わない限りは重複することはないのですが、短編に限っては、結構既読のものが紛れ込んだりする場合があります。

例えば、これは文庫ではなくて単行本ですが、「山荘の死」と題されたものでは、説明を見ると、次のようにあります。

傑作「達也が嗤う」をはじめ、挑戦小説十四篇を一挙に収録!本格派の巨匠が腕によりをかけて仕掛けたトリックの数々をあなたは見破れるか。

おお、そういえば「達也が嗤う」という名作がありましたね、文庫本では、創元推理文庫の「下り"はつかり"」に収められていたのでした。

ちょっと懐かしくなったので、本棚から取り出して読んでみました。「達也が嗤う」の前には、かの「碑文谷事件」も収められていたので、ついでにそっちから読んでしまったり……。

もちろん、一度読んだ作品なので(まぁ、4 年ほど前の筈ですけどね)、メイントリックはだいたい思い出せるものです。それだけ氏のトリックが秀逸だから、とも言えるのですけどね。でも……面白い!。メインのトリックがわかっていても、それでも十分に楽しめることを、改めて認識したのでした。

和也も嗤う(ウソ)

あ、「達也が嗤う」も、前評判通りの傑作です。この作品は、「日本探偵作家クラブ」の例会で、犯人当てクイズのテキストとして書かれたものらしいのですが、古今の探偵小説に通暁している筈のお歴々(江戸川乱歩とか)の中からも、完全正解者は出なかったとのこと。鮎川氏の稚気、いや才気が遺憾なく発揮された名作なので、わからなくもないのですが。

あらすじは……、箱根の某ホテル(規模的には「ペンション」と言ったほうがいいのかも)を、作品の執筆のために訪れた、推理作家の「浦和」こと「私」。そこには、病状はかばかしくない「私」の義兄が療養中だったのだが、その義兄が拳銃で撃たれ謎の死を遂げる。宿泊客の「帯広達也」は、「私」の義兄の死の真相を見抜き、満座の中でこらえきれずに笑い転げるが、その後、その達也も射殺されてしまう……、というものです。

ま、良かったら是非一度読んでみてください。「五つの時計」と「下り"はつかり"」は、鮎川哲也の入門編としてオススメです!

いきなり「黒いトランク」から入るのは、さすがにちょっと大変ですからね(笑)。

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2008年4月1日火曜日

万歳三唱令公布 129 周年を祝して、万歳三唱!

春は別れと出会いの季節

行きつけの……というほど足繁く通ったワケではないのですが、昨日(3/31)限りでロッテリア上本町店が閉店だそうです。名残を惜しむ……わけでもないですが、最終日の昨日、「なんとかチーズバーガー」を買いに行きました。

そこそこいい時間帯だったからか、それともバイトの数が少なかったからなのか(笑)、店の中はバタバタとした印象がありました。待合室側のレジに来てくれたのは(たぶん)大学生の兄ちゃん。最終日とは言え、ファストフード店の常で、マニュアル通りの日本語で対応してくれました。「ありがとーございまーすまたお越しくださーい」と。

いや、明日はもう閉店しとるがな」とツッコむ気満々だった……というのは全くのウソで、「おつかれさま」とか「寂しくなりますね」といった言葉をかけたかったのですが、次のお客様が待っていたので、ついに言葉をかけるタイミングを逃してしまった、というのが真相です。

万歳三唱令公布 129 周年を祝して、万歳三唱!

さて、今日は、1879 年(明治 12 年)に太政官布告第 168 号、いわゆる「万歳三唱令」が公布されてから、節目の 129 年目に当たります(全然節目じゃないし)。

「万歳三唱令」とは、文字通り「万歳三唱の作法を定めたものです。つまり、現代のハンバーガーショップにおいて、「俺たちに明日は無い」ことを知りながら、ついつい「またお越しくださーい」と口を憑いて出てしまう、「マニュアル至上主義」の原型をここに見いだすことができるわけで、日本人のルーツをたどる上で文化人類学的にも非常に貴重なものです。

では、いつも通り、Wikipedia の「万歳三唱令」からの引用です。

萬歳三唱令

別紙ノ通相定来明治十二年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
右奉 勅旨布告候事

施行 明治十二年四月一日太政官布告第百六十八号

第一条 萬歳三唱ハ大日本帝國及ヒ帝國臣民ノ天壤無窮ノ發展ヲ祈念シ發聲スルモノナリ
第二条 發聲ニ當リ音頭ヲ爲ス者氣力充實態度嚴正ヲ心掛クルヘシ
    亦唱和スル者全員其心ヲ一ニシテ聲高ラカニ唱和スルモノトス
第三条 唱和要領細部ニ附テハ別ニ之ヲ定ム

朕萬歳三唱ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
此布告ハ明治十二年四月一日ヨリ施行スヘキコトヲ命ス
御名御璽

うーん、「御名御璽」(ぎょめいぎょじ)と来ましたか……(笑)。

続けて、「万歳三唱の細部実施要領」です。

萬歳三唱ノ細部實施要領

一 萬歳三唱ノ基本姿勢ハ之直立不動ナリ
  而シテ兩手指ヲ真直下方ニ伸ハシ身体兩側面ニ完全ニ附著セシメルモノトス
二 萬歳ノ發聲ト共ニ右足ヲ半歩踏出シ同時ニ兩腕ヲ垂直ニ高々ト擧クルヘシ
  此際兩手指カ真直ニ伸ヒ且兩掌過チ無ク内側ニ向ク事肝要ナリ
三 萬歳ノ發聲終了ト同時ニ素早ク直立不動ノ姿勢ニ戻ルヘシ
四 以上ノ動作ヲ兩三度繰返シテ行フヘシ
  何レノ動作ヲ爲スニモ節度持テ氣迫ヲ込メテ行フ事肝要ナリ

これだと、何がなんだか良くわからないので、要旨(現代語訳)もつけちゃいましょう。

本文
発声は、大日本帝国と帝国臣民の永遠の発展を祈って行うこと。
音頭を取る者は、気力充実・態度厳正を心掛けること。
唱和の際には、全員心を一つにして声高らかに行うこと。

実施要領
基本姿勢は直立不動で、両手は指をまっすぐ下方に伸ばし体の側面にしっかり付ける。
万歳の発声とともに右足を半歩踏み出し、同時に両腕を垂直に高々と挙げる。その際、両手の指をまっすぐに伸ばし両掌を内側に向けておく。
万歳の発声終了と同時に素早く元の直立不動の姿勢に戻す。
以上の動作を三度、節度を持ちかつ気迫を込めて行う。

ということです。大日本帝国臣民たるもの、客にポテトを勧める前に、万歳三唱のちゃんとした作法くらいは知っておきたいものですね(笑)。

2008/4/2 追記

賢明なる読者の諸賢は最早お見通しかと思いますが、「万歳三唱令」は、有名な偽布告です。公布日も 4/1 になっていますから……きっと、もともとはエイプリル・フールのジョークだったのでしょう。そもそも、「太政官布告」の割には、まるで「勅令」のように「御名御璽」で締めているあたりが、おかしいような気がします。

ま、ここで長く語るのも野暮な話です。詳しくはまた日を改めて。

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